あゆみ

昭和63年 15断酒会の大同団結
近畿圏では兵庫県以外は、みな府県断酒連合会を結成していた。一つの断酒会では全国大会もできないし、近畿ブロック大会を開催するにも、兵庫県断酒連合会がなければ不都合がある。兵庫県からの補助金も受け皿に困る。近畿ブロックソフトボール大会の参加にも困る状態が生じる。そういう状況下で、兵庫県でも連合会を作るべしとのムードが醸成されて来た。
しかし、兵庫県の地域断酒会の発足には、それぞれ親の断酒会があり、簡単には1つにはなれないとの不安の声もあった。神戸市断酒会(当時は兵庫県断酒会と呼んでいた)は、昭和46年1月に阪和断酒会友綱から支部を作り、昭和47年に独立した。尼崎断酒会は昭和46年9月に大阪断酒会から支部を作り、昭和51年に独立した。赤穂断酒新生会は、昭和47年岡山県断酒新生会から支部を作り、昭和57年に独立した。この3つの流れがあり、その後分離独立を繰り返し、昭和63年には、全断連に加盟している15の断酒会があった。

昭和63年1月10日、神戸市北須磨文化センターにおいて、15の断酒会が一同に会した。「15の代表は緊張の面持ちを隠せず会議室の椅子に座り、どのように事がはこぶか、お互いの顔を伺っていた。司会者も同じ事を何度も言い、なかなか本題にはいらない。しかし、口火がきられ、案ずるより産むが易し、連合体をつくるべし、それもすぐに、と言うことになり昭和63年4月1日、ついに発足したのである。近畿ブロックで一番最後に連合体になった。」 田所溢丕氏(現・全断連事務局長は述懐している。-『第32回全国(神戸)大会記念誌-

平成3年、平成7年度の全国大会に立候補し、承認された。平成7年1月17日、阪神淡路大震災が生じ、ワールド記念ホールはシャンデリアが落ちるなどして使えなくなった。翌平成8年1月20日~21日に第32回全国(神戸)大会が開催された。参加者6,018名。

平成5年
地域における断酒啓発活動が評価され、日本精神保健連盟会長賞が授与された。

平成8年
阪神淡路大震災にも屈せず、全国大会が挙行された。

写真説明
水平線に見えるのは関空を中心とした泉南の灯り。
左から 市役所(ファイトの字) オリエンタルホテル ポートタワー

阪神淡路大震災後の市民活動が評価され、精神保健福祉事業功労者表彰として厚生大臣賞が授与された。

震災後、アルコールリハビリテーションの作業所とグループホームが、兵庫県の要請で兵庫県断酒連合会が運営することになった。平成9年に明石市と尼崎市に設立された。補助金は震災復興基金からの支出であったが、これは5年間の時限立法であった。
5年後にそなえて、NPO法人化が望ましいと思われた。そこでNPO法人を立ち上げ、平成13年12月3日にNPO法人兵庫県断酒会が認証された。平成15年より明石作業所は閉鎖され、兵庫本町作業所となった。

平成16年9月21日保健文化賞授与、松谷至博理事長と星丸 道副理事長が出席した。
翌日、松谷理事長は皇居において天皇皇后両陛下の拝謁を賜った。写真の右から7人目が松谷理事長の晴れ姿である。

現在は25の断酒会で頑張っている。